2023/02/07

オリジナルの定義

 


おはようございます。

さて。
今日は『オリジナルとは』というテーマでお話ししたいと思います。


 
 

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▼ こいつは血だね。抗えない
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「スラムドッグ$ミリオネア」でアカデミー賞を受賞したダニー・ボイル監督が総合演出を担当した『ロンドンオリンピック』の開会式は最高でした。
本当に大好きで大好きで、今でも、ときどき見返しています。

https://youtu.be/4As0e4de-rI


農村から始まり、産業革命によって国の形が大きく変わっていく様子を自国の才能(映画など)を織り混ぜつつ、イギリスしかできない「イギリスの自己紹介」を華麗に展開しました。

 
一方、日本はどうでしょう?。

 
日本東京オリンピック当初、オリンピックの開会式の演出をめぐる『オリンピッグ問題』がネガティブな話題として大きく取り上げられました。


すでに散々議論されていることに関して、僕は口を突っ込む立場にありませんが、演出の攻め方として少し気になったのは、「世界的に認知されている《日本人が積み重ねてきた歴史の文脈》の延長には、『豚』が無い」ということ。


豚は、1664~1691年に中国人によって長崎県に輸入されたらしいのですが、基本、日本は仏教のノリ(殺生禁断)なので、その後しばらくの間も、あまり大々的には扱っていません。
豚は、日本人にとっては比較的歴史が浅い動物です。
#僕は糸島豚が大好きです

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この二つの国の開会式の演出を比べてみると、『レガシー(遺産)を上品に引き継いでいるか、否か』という点に絞られてきます。

 
僕は海外旅行をしたことがありませんが、
日本国内から見る海外の魅力って、結局歴史に紐づいた「建築物」や「食」、「自然」といった、もともとそこにあるもので、そこから見える海外と日本の違いは(言葉を選ばずに言うと)「レガシーをズル賢く利用しているか、否か」で、どうしても日本はレガシーの利用が上手くない印象を覚えます。

ついには、ジャパニーズオタクカルチャーを海外に打ち出して成功した村上隆さんを「オタクを利用しやがって!」と叩く始末。

#「DOB(ドブ)君」とか好きです。

 

“あるものを使わない”“あるものを使うことを良しとしない”日本の国民性は一体どこからきたのでしょう?


一つに「地震&台風大国」であることが考えられます。
これだけ頻繁に地震と台風がやってきちゃうと、「古い建物を残す」という考えにはなりにくい。


次に「島国」というのもあったのかなぁと思っています。
四方を海で囲われているので、お客さん(住人)が外に流れていくことはない。
人口は右肩上がりで増えていったので、その土地ならではのレガシーを集客装置にしなくても、過疎化に頭を悩ませることもなかった。

「そこにしか住んだことがないから、そこの価値に気づかない」というのも。

 
ところが、

2000年にインターネットが本格的に『全世界開国宣言』をして、あらゆる国が自国のレガシー×テクノロジーでバッシバシに存在感を見せる中、日本は波に乗り遅れます。


村上隆さんのアクションに対して「なるほど!その手があったか!」とはならず、「俺たちが育てた文化を利用しやがって」と叩いてしまうようなマインドの問題が大きな遅れをとっていると思っていて、その根底にあるのは「ゼロから作ってナンボ」という『ゼロ→1至上主義』です。


 

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▼ 開かれた世界において「ゼロ→1」は、

もはやオリジナルではない。
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「再建・復興」や「お客さんの10割が同じ集落の人(集落内で新しいモノを出すことが集落内の人に喜ばれる)」がデフォルト(基準)だった時代は、「ゼロ→1」がモテ囃されますが、国際競争に入った今、たとえば『徳島県のオジサンが独特の感性で(ゼロ→1)作ったスタバのパチモンみたいなカフェ』を選ぶ理由はまったくありません。


世界が徳島に求めているのは「阿波踊り×○○」で、それは難しい大喜利ではあるのですが、この戦いから降りた瞬間に一気に弱くなってしまうのだと思います。


 
僕は無類の「ジブリ好き」でして、宮崎駿さんが築いたレガシーを、どう上手く利用していくのか?に注目しています。


ジブリとしては初のフル3DCGアニメとなる最新作『アーヤと魔女』のビジュアルを見た時に、きっと「おや?」となったお客さんは少なくないでしょう。
生々しい話をすると、「あれ? こっちの土俵に来ちゃったの? それだったら戦えるよ」とニヤリと笑ったクリエイターさんも少なくないと思います。

宮崎吾朗さんの中で、めちゃくちゃ葛藤があったと思うんです。
いつまでも偉大な父と比較されてしまう呪いが、何年も続いた。
「俺は親父とは違う」という反発が生まれるのは当然ですし、一人のクリエイターとして「これが俺です!」と出したくもなる。

ただ、もう、今の世界はそれを認めないだろうなぁと思います。
#書いていて胸が痛いです

繋がりすぎた世界が「オリジナル」の概念を大きく変えてしまって、現代、「ゼロ→1」は秒速でコピーされてしまうのでオリジナルにはなり得ません。


現代の「オリジナル」は、「レガシー×テクノロジー×個性(レガテックID)」で、この時、「レガシーと比較されること」を引き受けなければなりません。
日本の場合だと「利用しやがって」という日本人からの批判を引き受けなければなりません。

 
落語家さんや歌舞伎役者は、アドバンテージにも呪いにもなっている『血』の強さと伝統に対し、産まれた瞬間から向き合い続けているんだと思います。

これはエンタメに限った話ではなく、すべてのサービスに通じる話だと思います。
これまで僕らは「ゼロ→1」を『オリジナル』と呼んできましたが、そんなものは翌日には中国にコピーされてしまうので、そこに「独創性」などありません。


料理に関しても、もはやオリジナル料理など存在せず、既存の料理の掛け合わせ、パターンの理解、分解、再構築をすることで、その地の、その場の、その時の最適解を都度都度はじき出し、そのサイクルを繰り返した歴史を後になって、「オリジナル」と呼ぶのかもしれません。


「『オリジナル』の定義は、もう変わったよ」という話です。

最近、やたらと「歴史だ!歴史だ!」と騒いでいますが、もう「×レガシー」にしかオリジナルは残っていないので、一度立ち止まって、「コピー不可能な手持ちの武器」を整理してみてください。

新しいお店を作る時には、「京都で、福岡から来た料理人が作る料理とは何か?」を散々議論しました。


今日もありがとう。


じゃ

またね。



阿部

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